京都の夏の風物詩である五山送り火。
長年続いている行事なのですが、その起源や文字の意味などは歴史のベールに包まれています。
送り火で描かれている文字や絵の意味や、何を燃やしているのか?翌日多くの人が訪れる理由を紹介します。
五山送り火の文字の意味は?
京都の五山送り火は、「大」「妙」「法」の3つの漢字と船と鳥居の2つの絵柄で構成されています。
毎年、多くの観光客が訪れ数百年も続いている送り火なのですが、その起源や成り立ち、文字の意味などほとんどが謎に包まれています。
京都で「先の大戦」と言えば、第二次世界大戦を指すのではなく、応仁の乱を指すそうです。
京都の歴史はとても古く、幾度となく戦乱に巻き込まれている土地ですので、昔の史料が焼失してしまったのかもしれません。
もしくは、京都の人たちにとって「五山の送り火」はあまりにも身近な存在であったために、わざわざ文字としての記録は残さなかったのかもしれませんね。
今回は、五山送り火の文字の意味と絵柄の意味について、現代で考えられている説を紹介します。
大文字の意味
- 平安時代の空海(弘法大師)説
- 室町時代の足利義政説
- 江戸時代初期の近衛信尹
平安時代の空海(弘法大師)説
大文字山が火災に見舞われたときに、阿弥陀仏が光明で消し止め、その光明を真似て火を用いた儀式を空海が「大」の字にしたとする説。
室町時代の足利義政説
銀閣寺(相国寺)を立てた足利義政が我が子の冥福を祈るために、大文字山に白布を備えさしたのを見て相国寺の僧、横川景三が決めたとする説。
江戸時代初期の近衛信尹
1662年に発刊された本に「大文字は近衛信尹の筆画にて」との記述が残っている説。近衛信尹は江戸時代の能書家です。
ただし、何故「大」の文字かは不明です。
他には、悪霊を退治するための★(五芒星)が「大」になった説。
北辰信仰の北極星をかたどった説。
「大」の文字が手足を広げてる人間に見えることから、無病息災を願った説。
妙・法の意味
鎌倉時代の日蓮上人の孫弟子の日像上人が、ある村で法華経を説いたところ、村人全員が日蓮宗に改宗したのを喜び、日蓮宗(法華宗)の題目の妙法蓮華経から、「妙」の字を送り火とした。
ちなみに、左の山から「妙」「法」となっており古来の書き方では右から左へと書きますのでおかしいですが、はじめは「妙」しかなく、後の時代に「法」を付け足そうとしたところ、「妙」の左の山にはスペースがなく仕方なしに右に付け足したそうです。
船
平安時代の西方寺の開祖・円仁が唐からの帰路で遭難しかけたところ「南無阿弥陀仏」と唱えて無事に帰国できたことから船が描かれた説。
同じく平安時代に疫病が流行り、数万人の犠牲が出てその供養のために「大乗仏教」(多くの人を救う)の教えから船の形になった。
大乗の「乗」を「船」と見做して大文字山の「大」と「乗」を組み合わせて大乗仏教を表している説。
灯籠流しで使われる船、精霊船の船を表している説。
左大文字
曼荼羅山にある「大」文字は、御所から見て左にあることから左大文字と呼ばれていますが、大文字同様、意味は不明です。
左が女、右が男を表しているとも言われています。
鳥居
伏見稲荷大社のお灯明として焚かれたという説。
ふもとにある愛宕神社の鳥居にちなんでいる説。
いずれの、送り火も諸説がたくさんあり、起源がはっきりとしていません。
送り火は何を燃やすの?
五山の送り火は、送り火として単に木を燃やしているわけではありません。
妙・法の以外の送り火では、実は護摩木(ごまぎ)を焚いています。
護摩木とは?
護摩木とは、護摩を焚くときに使われる木のことです。
サンスクリット語で「物を焼く」ことを「ホーマ」言い、これを日本語の音にしたものが「護摩」です。
京都五山の送り火では、先祖の霊や現世の人の無病息災を願って護摩木に記されます。
祈願・・・自分の名前と持病(願いごと)を書く
御摩木を焚くことによって、炎が上がりその煙が天に届いて願いが叶うという信仰があります。
送り火の護摩木の受付場所
送り火で護摩木を焚いてくれる場所は4ヶ所です。
何処の護摩木も一律300円です。
護摩木は、無くなり次第終了しますのでご注意下さい。
船形
左大文字
鳥居形
※妙・法では護摩木は焚きません
大文字
16日 06:00~14:00
受付 銀閣寺門前
船形
16日 7:00~10:00
受付 西方寺門前
左大文字
16日 07:00~14:00
受付 金閣寺門前
鳥居形
16日 09:00~15:00
受付 化野念仏寺駐車場
※御摩木は一律300円
御摩木を奉納した後に、その場所の送り火を見ることが出来たらとても幸せですね。
大文字の送り火の消し墨とは
送り火で焼かれて炭になったものは、消し墨(からけし)と呼ばれ、重宝されています。
消し墨を白い紙(奉書紙)で包んで水引をかけ家の玄関に吊るすと魔除け、厄除けになるとされているからです。
奈良の大仏のお水取りでも、二月堂のたいまつの炭を持ち帰る風習が同様にありますね。
また、消し墨を粉末にして服用するとお腹痛に効いたり、無病息災になるという風習があります。
送り火が終了し火が消されると、炭になった消し墨は基本的に檀家さんたちのために取り分けられます。
そして、送り火の翌日の朝には消し墨を求め、拾いに行く方々がたくさんおられます。
特に大文字焼きの行われる大文字山の麓にある銀閣寺からはハイキングコースになっていますので、大変な人気です。
およそ、1時間くらいの山道を歩いていくと山頂付近に到達します。
お昼を過ぎると小さい物しか残っていないので、家に吊るせるほどの大きさの物ですと、朝から拾いにいかないといけません。
まとめ
京都五山の送り火は、日本人の生活に深く溶け込んでいるにも関わらず、いろいろな説があり、起源がはっきりしていないのが不思議ですね。
それとも、仏教行事なので密教の教えのように秘密裏に行われていた儀式が一般的な行事として残ったのでしょうか?
どちらにしても、送り火が終わると夏がもう少しで終わる気がしてさみしい気持ちになりますね。